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田村酒造場の文化遺産

田村酒造場の国の登録有形文化財をご紹介いたします。
長年、手をかけて守り続けた蔵や水車小屋、石垣を未来に残すべき、守るべき文化財として認定されたことは、大変嬉しいことです。
日本の原風景を伝える貴重な財産をお預かりした気持ちで、これからも大切に守っていきたいと思います。

酒造蔵

1822(文政五)年頃/1918(大正7)年改築

本蔵・中蔵・新蔵が連なって構成する酒造蔵は切妻造・黒釉薬塗り桟瓦で葺いた土蔵建築です

本蔵は慶応年間以前のおそらく文政5年の創業時あたりに、移築建築されたと推測されています。梁行14尺の上屋両脇に8尺幅の下屋を設け、さらに各17尺幅の又下屋を吹き下ろしています。そして皮むき杉丸太の上屋・下屋柱を立て、指物を架して中2階の床を設けています。帯鉄で囲い、補強を施した煉瓦煙突は今はシンボルとして蔵の風景に欠かせないものです。

中蔵、新蔵は大正7年にそれぞれ改築されました。3棟の出入り口は同じ柱位置に連絡して設け、内部の貯蔵空間は連続しています。一部に改変を加えながらも、基本的な建築構成は当初の様子をよく伝えており、酒造蔵の拡張過程が伺える建築物となっています。

前蔵

1830(文政13)年頃

切妻造・桟瓦葺(置屋根)の2階建て土蔵建築。現在は、2階床を撤去し、酒を展示販売するギャラリーとして使用しています。
この建物にある文化13年(1830年)の化粧裏板墨書によると、米蔵として使用したとあり、創業時に米貯蔵蔵として建築あるいは移築された可能性が高いとされています。

雑蔵

1862(文久2)年頃

切妻造・桟瓦葺(置屋根)の2階建て土蔵建築。棟木に打ち付けた棟札より、文久2年(1862年)の建築とわかります。建築当初の用途は残念ながら不明ですが、幕末に規模を拡張していることがわかります。
現在は背面(西面)に庇を設置し、見学に来て頂いた方の休憩スペースとなっています。

旧水車小屋及び脇蔵

1830(文政13)年頃

水車小屋と脇蔵は敷地の東側、田村分水のほとりにあります。水車小屋は切妻造・波形鉄板葺屋根で建築され、裏手に水門があります。水車は酒造に欠かせない精米や発電に使われていました。

隣接する脇蔵は切妻造・桟瓦葺(置屋根)の土蔵建築で、水車小屋より一段高い屋根を有しています。この脇蔵は隣の水車小屋で精米した米の貯蔵庫と考えられています。これらの建築物は明治前半の建築と考えられています。

上水石垣

1862(文久2)年頃

敷地の東側、玉川上水右岸に河原石で積まれた石垣です。田村家日記の明治8年の項に「分水掘普請」という記述があります。これは玉川上水から分水した田村分水の大規模工事のことで、この時現在の田村分水が完成したと考えられています。大正14年(1925年)6月に撮影された田村分水取水口の写真に、現在と変わらない姿を見せる上水石垣と上水門が写っています。石垣の完成年代については大正時代後半と推測されています。

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